チベット語とコンピューター関連の話し(「源氏物語」感想付き)
対中華人民共和国については、十分に情報をさらしており、なおかつ、様子見の要素が多いので新たなエントリーを作る。話題はウェブ上でのチベット語とコンピューターにまつわる話だ。
実は ThinkPad Phoenix 向けに、そろそろ、アドビの製品をアップグレードしようとしたら、Acrobat 4 が Acrobat Standard 8 のアップグレード対象から外れていた。寝耳に水で大顰蹙だったが、「アップグレードは3世代目以前まで」と言うアドビの公式発表が一昨年あったそうだ。そんな話聞いてないぞ!(怒) アドビと言えば古いマッキントッシュの時代に「どんな古いバージョンからでもアップグレードする」と言う最高にクールな美点があった。
慌てて、手持ちの Illustrator 10 を調べたら、ギリギリで Illustator CS3 にアップグレード可能と言うこと、早速アップグレード版をアドビストアで購入した。ヨドバシ・ドット・コムでは単体で販売していなかったからだ。Acrobat は購入した物のほとんど使ったことがなかったので必然性が出てきてから最新版を購入すればいいだろう。Illustrator は使用頻度は少ないものの唯一の「使えるドローソフト」なので外せない。
Mac Phoenix を考えるとき Photoshop Elements の最新版は 8,600円程度でバンドル可能なはずであるが、Illustrator の Mac 版は由緒正しき 5.5 しか持っていない。故に糞高いお金を払って Mac 用の Illustrator など買えない。
Mac に置けるチベット語環境を調べたが、MacOS X Leopard に大谷大学が開発したチベット語システムが標準搭載されているが、ウェブ上でのフォントとしては Microsoft Himalaya とアルファベットの大小の互換性が無く問題があった。しかし、Microsoft Himalaya 自体 Open Type のフォントであり、アドビの「OpenTypeに関する FAQ」から、「Macintoshを使っています。WindowsシステムからOpenType(.otf)フォントを受け取りましたが、ジェネリックアイコンが一緒に表示されます。 これを修正する方法はありますか?」と言う項目で、個人の自己責任で Microsoft Himalaya を Mac 用に変換出来る。これで、俺のチベット語のホームページは Mac でも、正常に観れる訳だ。
Adobe - フォント:OpenTypeに関するFAQ(日本語)
http://www.adobe.com/jp/type/opentype/qna.html
OpenType Q & A (English)
http://www.adobe.com/type/opentype/qna.html
……。今、マイクロソフトから、Windows Vista の各エディションに Microsoft Himalaya が入っているかどうか、返答が来た。すべてのエディションで Microsoft Himalaya が入っていると言うこと。ただし、ThinkPad R61e の Home Basic には、Microsoft Himalaya は入っておらず、パソコンショップなどの情報を総合するとプリインストール版の Vista ではメーカーによってばらつきが生じるようだ。故に確実に Microsoft Himalaya が入るのは、パッケージ版の Vista のみと考えられる。
てもちの、Microsoft Office 2000 Personal も最新版にアップグレードできる瀬戸際だった。Office などほとんど使わないが、まだ、x86 アーキテクチャーが MS-DOS であった頃、Mac では Microsoft Word が重要なソフトだったので、今回、Word のみアップグレードしようとマイクロソフトのカスタマーセンターの女性オペレーターと話したら、Word 2007 のアップグレード版より安価な Office Personal 2007 アップグレード版 特別優待版が出ていたので、マイクロソフトの直販はないが、関係するサプライヤーから見積もりと取り置きを手配した。
……。話は大幅に脱線して、朝日新聞の夕刊で特集されている「源氏物語」についてだ。
5月9日の夕刊で、作家の清水義範が、愛知教育大の入試問題であった「『源氏』の文学的価値を記せ」、と言う設問に、彼が「色好みの男がもてる話をあんなに長く書いてつまらない」と答えを書いた逸話には共感するものがある。僕はソニーの面接の内、人事系の偉い人との1対1の面接で「大学時代もっも遣り甲斐があったことは何か?」との問いに「う〜ん。そうですねぇ〜。……ダイエットかな! いや、実は 70Kg から 57Kg にダイエットしたことがあって、あれは遣り甲斐があったなあ〜!」と、知らない間に足を組み、学部の頃を懐かしみながらそう答えた。こう言うのってセンスなんだよね。清水さんが、浪人して翌年入学したとき国文学者石川徹は、間違いなく清水さんの奇抜な答えを覚えており、だからこそ、試験に「何故『源氏』は長いのか」と言う問題を作ったのだと思う。この問題自体、清水さんを意識して作られたものに間違いない。
さてさて、母は「源氏」の愛読者だった。岩波書店の日本古典文學大系の「源氏物語」の一巻と五巻を持っており、与謝野晶子訳の現代語訳を通して持っている。
さて、紫式部の「源氏物語」の原文は以下のような文章から始まる。
いづれの御時にか。女御・更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いと、やむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。
いや、いや、いや、凄いね、全く。この文章を読んだだけで「源氏物語」は「言葉の芸術」と判る。この一行で新旧訳聖書全文に匹敵する気迫を感じる。
与謝野晶子訳のこの部分を読んだが、全くの稚拙な文章。父が持っていた、今泉忠義訳もぼろぼろ。俺が原文に感じる言葉の輝きを全く反映していない。
俺に言わせれば、現代語訳などとても読める形で出来るとは思わないがね。理由は簡単だ、ガイウス・ユリウス・カエサルの不滅の名文句にして世界一美しい詩でもある「Veni, vidi, vici.」を「来た、観た、勝った」と訳しても、原文の輝きにほど遠いことが理由だ。判るだろう?(笑)
「源氏物語」を「現代語」で読んで、「色好みの男がもてる話をあんなに長く書いてつまらない」と答えるのはむしろ必然。「『源氏』の文学的価値を記せ」、と言う国文学者石川徹による問いに僕ならこう答える「『神域の音楽』としての文学」と。
……。「御ちぎりや深りけむ」。す、すげえ! 鼻血ブー! 高木ブー!! たった9文字で俺が知っているいかなるポルノより興奮する(爆)。俺だって、「御ちぎりや深りけむ」を女性の立場で味わいたいぞ!!(苦笑) 「御ちぎりや深りけむ」。なんと言っても読んだときの音の良さが素晴らしい。これ、現代語に訳したら「音の良さ」が完全に失われてしまう。
中国共産党のアフォ共の使っている「漢字(簡体字)」を偽物の言葉だと言ったが、日本語も、紫式部の時代からすると退化しているんじゃない?
少なくとも、夏目漱石全集と「源氏物語」(原文)を比べたら、「源氏物語」の方が1億倍は素晴らしい。
少なくとも「源氏物語」に対抗しうる近代文学は、連合艦隊作戦参謀秋山真之による「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」だけだと思うよ。